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東日本大震災

2012年5月 6日 (日)

原発ゼロ、ここからの出発

 今朝、太陽の光と共に、食卓の電気は、昨日と変わらない明かりを、私たちへと届けてくれている。

 昨日の深夜、北海道電力の泊原発3号機が定期検査のため、発電を止め、国内の原発50基すべての発電が停止した。

 原発に依存しない社会を築いていけるか、これからが問われている。

 しかし、原発が止まっても、電気が使えることに不思議な感覚を覚えるのは、原発がなければ、全く電力は供給されないかのような錯覚、あるいは、刷り込みに、いかに支配されていたか、ということに改めて気づかされる。

 代替エネルギーへの緩やかな転換をひとりひとりが強く意識することだろう。

 未来に生きる新しい命への責任を、今、ここでしっかりと胸に刻んで歩んでいくことだ。

 大きな転換期が始まっている。

 

2012年4月 5日 (木)

海からの声

 赤坂憲雄編『鎮魂と再生 東日本大震災・東北からの声 100』(藤原書店)、「東北」に縁を持つ聞き手たちが、被災者に向き合って書きとめた聞き書き集、被災地のそれぞれの光景、瓦礫、船、花、祈る人々… モノクロームの写真の狭間に響く声、声、声、に耳を澄ます。

 ページをめくるうちに、被災者の生々しい言葉のうちに内包された、海からの声に立ち止った。

 気仙沼の、港に近い埋立地に建てた家を、津波に流された被災者のことばの中に。

 「そろそろこっちに返してくれ、と海に言われたような気がする」

 海は、きっと、静かに人間たちに語りかけ続けていたのだろう。太古から現在まで、ずっとずっと、寄せては返す、波の営みのなかで。

 耳を塞いでいたのは、あるいは、聞こえないふりをしてきたのは、自分なのかもしれない。  

 風にも、木々にも、ことばがあって。

 海や風や森が与え続けてくれたものに、今、深く頭を垂れ、内省の歴史をこれから刻んでゆく必要がある。

 生者のことばのうちに在る、夥しい死者のことばと共に。

 海からの声に、もういちど、耳を澄ます。

 

2012年3月11日 (日)

震災から1年

 2012年3月11日。震災から今日で1年です。

 今朝から、報道番組は震災特集、様々な映像が流れ、改めて、被害の大きさ、事象の重苦しい意味を考えさせられます。

 1年という区切りは、ひとつの通過点。原発はまだ止まらず、仮設住宅などで避難生活を送る人々の数は、未だ34万人もの数に上ります。

 ひとりひとりの一歩が、復興への道を作り続ける、その小さな一歩に大きな希望を託して、3.11という日付を決して忘れることなく、日々を営み、新たな国づくりへのまなざしを、より強めていく必要があると思います。

 今の自分にできることを、積み重ねていくこと。

 今日、見上げる太陽に感謝すること。

 今日、ほとばしる水に潤される、あたりまえの生活の一場面に、思いをはせること。

 多くの犠牲者たちの魂へ、祈りを捧げ、今日1日とそれに続く日々へ、どんな明かりを灯しつづけることができるのか、問い続けていきたいと思います。

2012年1月12日 (木)

自然に向き合う

 冷たい朝の空気が肌をさす一日の始まり。

 昨日の、2012.1.11という日付の、立ち並ぶ1の重みをかみしめながら迎えた今朝の太陽の光は、ことの他まぶしく見えます。

 厳しい自然の営みが列島を包み、かじかむ手に温かな息を吹きかけながら、懸命に日々と向き合う人々の姿が脳裏に浮かんできます。

 震災から10カ月。積み重ねられる時間の長さ。けれど、どこか、宙づりになったまま、時が止まっているかような奇妙な時間感覚に惑わされます。

 それでも、今このとき、恐ろしい自然の姿におののきながらも、また荒海へと帰ってゆく人々のたくましい後ろ姿が在る。

 ふいに、ウォールデン湖畔の森の中で、自給自足の生活を営んだ、アメリカの作家、H・D・ソローのことばが心に蘇ってきます。

 「自然」は人間の強さばかりでなく、弱さともうまく折り合ってくれるものだ。(『森の生活』岩波文庫)

 凪の海の水面のきらめきの美しさは、わたしたち人間の柔らかな弱さに寄り添ってくれるのかもしれません。

 その賢さと大きさで、人の営みを包み込む、自然。

 わたしたち人間が、自然への畏敬さえ、忘れることがなければ─。

 自らの内なる自然にもまなざしを向けて、一歩を踏み出してゆきます。

 

2011年12月11日 (日)

震災から9カ月  「ことばを信じる 冬」

 今日は、12月11日。東日本大震災から9カ月。

 ひとりひとりの小さな一歩が少しずつ光を灯し続ける一方、被災地の失業問題は深刻な状況にあり、いまだに止まらない福島第一原発の暗い影が日本列島を覆っている。

 街は、なぜか去年と変わらないクリスマスのイルミネーションが輝き、奇妙な違和感を覚える。

 忘れることのできないはずの問題に、どこか背を向けてうやむやにしようとする気配が緩やかに人をまとって、日々が行き過ぎていく。

 静かに、そして確実に進行していく国の衰退。

 それが、今現実の私たちの日常である。

 しかし、心に光と水を注ぎ続けなければ、進んでいくことはできない。

 昨日、日本近代文学館ホールで行われた、「言葉を信じる 冬」。

 参加者は、稲葉真弓、大島龍、斉藤斎藤、白石かずこ、高橋睦郎、津島佑子、天童大人、山崎佳代子、結城文、(五十音順敬称略)

 不確かな現在を未来へとつなぐことばのきらめきと力強さに触れることができた。

 震災後にはじめられた、季節ごとに開かれた、この会は、静かにことばに心を向けることのできる時間だったと思う。

 人間はどこへゆくのか。ことばはどこへ向かうのか。

 荒波のように流れ去る情報の渦へ、ぽんと投げ出される、一本のロープのように、参加者の唇からこぼれる声は、揺らぎ続ける命を、いまここへと繋ぎとめる「意思」が感じられた。

 いまやだれにも、描くことのできない、日本の、世界の未来予想図。

 ひとつ、ひとつの、ひとり、ひとりの、生への希望と祈りを込めた言葉が繋いでゆく、細い絆が、ゆっくりと、新しい人間の在り方を切り開いていくと信じたい。

 澄んだ青空に、日が昇り、温かな光が窓辺から降り注ぐ。

 あたりまえの、日々の奇跡に、頭を垂れる。

 小鳥が飛び立ってゆく彼方に、もう一つの星のきらめきを、見たい。

 

 

 

 

2011年11月11日 (金)

震災から8カ月

 東日本大震災から8カ月がたちました。

 季節は、ゆっくりと、冬へと向かっていきます。

 復興への日々の努力を重ね続けている人々の頬に、暖かな春の光が訪れるますように。

 そして、今日出来る、ひとつひとつの行いを丁寧に、生きる時間の尊さに感謝し、傾いていく日を見送りたいと思います。

 

 冷たい雨が降っています。

 傘を閉じて、扉を開ければ、暖かな笑顔と、湯気立つミルクがあなたを迎えてくれます。

 あたりまえの、そして、かけがえのない一日に、感謝を。

 

2011年10月11日 (火)

震災から7カ月

  秋という季節が深まり、今日は、2011年10月11日。震災から7か月がたった。

 復興へ向けて、様々な試みが少しずつ進んでいく中、見慣れない風景が、心を痛める日々だ。

 秋の運動会、校庭を走る子供たちを教室から応援する仲間たち。窓はぴっちりと閉められたまま。

 震災後、身体の毛の色がすっかり抜け落ちて、まっ白になってしまった犬の寂しそうな瞳。

 セシウム地図の色のグラデーション。

 ひとつひとつが、3.11の日付から生み出された悲しみを映し出している。

 ひたむきに生きようとする命の輝きの灯が、決して消え去ることのないように祈り続けたい。

 風は新しい光を携えて、訪れる。

 きっと、あなたの元へと。

 

 

 

2011年10月 2日 (日)

池澤夏樹 『春を恨んだりはしない』

 2011.3.11、この震災の日付から、様々な“震災”を巡る言説が、日常と心の内部を、日々猛スピードで、駆け抜けていった。

 かつて経験のない、混沌と混乱は、実在の被災者の足元にも及ばないが、私自身、人間存在の在り方、自然と文明の行く末を深く問わざる負えない日々が続いている。

 メディアに流通する膨大な活字、声…。その中には、心に届くことばと届かないことばがある。

 震災後、被災者だけではなく、その土地に入って、うずたかく積まれた瓦礫と海を多くの人々が見つめた。取材、ボランティア、その他それぞれの、恐らくは、その人自身にしかわかりえない、確かな目的のために。

 被災地を見つめた人々の口からこぼれ落ちることばの内部には、「光」を持つことばと「光」を持たないことばがあり、「光」を持つことばには、謙虚な想像力と、どうしようもない悲しみと、無言の優しさがあり、現象を遠くからまなざす視点がある。その距離は、決して冷酷なものではなく、その現象を引きおこした原因を見極め、より良い未来を描いていこうとする柔らかな希望の芽を持っている。

 「光」を持たないことばとは何だろう…。うまく表現できないが、個の感傷に封じ込められて身動きがとれず、どこへとも行き先が知れずに闇の向こうへ流れて行ってしまうことば。個から他者へと繋がるベクトルが切れてしまって彷徨うことば。そして、全く想像力のないことばは、異なる痛みをひきつれて、さらに人間を痛めつける。現在の政治のことばを耳にすると、言いようのない怒りと、痛みを覚えてならない。

 作家、池澤夏樹の新刊エッセイ、『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』(中央公論社)を読んだ。シンボルスカの詩から引いたタイトルも良い。

 すっと、心に響くことばがあり、「光」とリアリティを感じた。

 日本の未来像を、そっと差し出そうとする、決して声高ではないメッセージが、行間に込められている。

 被災地を巡って考えを深めていく、池澤のことばの背後に、死者たちの優しいまなざしが見えてくるのだ。死者に寄り添う心の温もりが、ことばにあるからだろう。

 そして、陸前高田で生まれて育ったという池澤の友人は、この震災で母親を亡くしたという。情報の混乱の中、ようやく、郷里に辿り着き、安置所で母と対面し、棺を探した、という行を読んだ時、不意に涙が溢れた。

 棺という死者を運ぶ船に、この夏の終わりに、最愛の父を乗せたのだ。

 池澤がいうように、棺に納まった姿に別れを告げることは、「整えられた死者」である。残された者には心の準備がある。

 しかし、津波にさらわれた人々は、棺に入ることなく逝った。

 不意に訪れた死を、どう受け止めればよいのか、今のわたしには、わからない。

 けれど、棺というリアルな物を目の前にした時、多くの死者の魂が心の海原に浮かんで見えた。

 手に触れることのできる愛おしい人の頬がそばにあることに、私は深く感謝した。

 そして、津波の向こうにいる家族を思う人々の、身を切られるほどの胸の痛みに、静かに手を合わせた。

 人間は、想像力によってこそ、手を繋ぐことができる。いや、想像力しか、人間と人間を連帯という強いきずなで結ぶことはできないのではないか。

 個人の経験は限られた、わずかなものであるが、他者の経験へと、想像の手を伸ばせば、痛みや悲しみを、そして、喜びを分かち合うことはできると思う。

 池澤の声の狭間に、鷲尾和彦のモノクロームの写真が挟み込まれている。

 仙台市、石巻市、女川町、陸前高田市、気仙沼市…。

 そこには、温かな血が流れていた、愛する人々の手を失った、懐かしい多くの人々が暮らす。 

 膨大な死者たちの声を支えに、新しい日本が歩んでいくことを、今ここにいる、自らの呼吸に、深く刻み込むことだ。

 そう、春を恨んだりはしない。

 そして、春は、再び、やってくる。

  

 

 

 

2011年9月11日 (日)

東日本大震災から6カ月

 今日は、2011年9月11日。

 東日本大震災から6カ月、そして、アメリカ同時多発テロから、10年─。

 日付をつぶやく唇の重み、これからの未来をどう描いたら良いのか、未だ光が見えない日本。

 震災から半年、行方不明者は、4000人以上、避難所には、まだ6000人以上の人々が暮らしている。

 福島第一原発は、いまだ収束の気配は見えない。 

 あたりまえの日常を取り戻す一人一人の努力が懸命に続いている。

 政治は、ことばに心がなく、被災者を傷つけるばかりだ。

 今こそ、ことばの真なる力が必要とされているはずなのに。

 今日は、天童大人プロデュース La Voix des Poetes(詩人の聲)、第669回、詩人、高橋睦郎さんの会が開催される。(西荻窪の数寄和にて  会場15:30 開演16:00 ℡ 03-3390-1155)

 記憶に刻まれる日付に、何が起こるのか、真の詩人の聲を心に刻みたいと思う。

 かけがえのない一歩を、勇気を持って踏み出すために。 

 

 

2011年8月18日 (木)

福島 子供たちの声

 福島第一原発事故後、3月下旬に福島県の子供たち約1150人を対象にした、内部被爆検査で、45%の被爆が確認されたという。およそ半数…。

 たび重なる大人たちの判断ミスで、子供たちは、これからの長い時間を、放射線障害による不安と共に生きていくということだ。

 17日、東京永田町の衆議院第一議員会館で、政府の原子力災害対策本部や文部科学省の担当者たちに訴えた福島の子供たちの「声」が、テレビから流れてきた。

 「ずーっと、外で遊んでいません。」

 そう語った福島の子は、「ずーっと」と、「ず」という音を伸ばした。素直な「ずーっと」…。哀しみの深さが、その言葉にあふれんばかりに込められていた。

 「どうして、もっと早く、きれいにしてくれないのですか?」

 速やかに暖かく答える大人は、誰もいない。

 マイクを順々に回し、誰か答えてはくれないか、と自己保身を続ける大人たち。

 そんな大人たちを「信じろ」とはとても言えない。そんな大人たちには、決してなるな!と私は言いたい。

 正直に、人間らしく、声を届ける、届けることが出来る大人になって欲しい。

 「何歳までいきられますか?」

 と、問わずにいられぬ現実を産み出してしまった責任を、ひとりひとりが、もっと考えていくことだ。

 画面の向こうの福島の子供たちを、そっと、まなざしで、抱きしめた。

 大きく、羽ばたいていく翼を、「ずーっと」見守っていく…。

 

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