2011.3.11、この震災の日付から、様々な“震災”を巡る言説が、日常と心の内部を、日々猛スピードで、駆け抜けていった。
かつて経験のない、混沌と混乱は、実在の被災者の足元にも及ばないが、私自身、人間存在の在り方、自然と文明の行く末を深く問わざる負えない日々が続いている。
メディアに流通する膨大な活字、声…。その中には、心に届くことばと届かないことばがある。
震災後、被災者だけではなく、その土地に入って、うずたかく積まれた瓦礫と海を多くの人々が見つめた。取材、ボランティア、その他それぞれの、恐らくは、その人自身にしかわかりえない、確かな目的のために。
被災地を見つめた人々の口からこぼれ落ちることばの内部には、「光」を持つことばと「光」を持たないことばがあり、「光」を持つことばには、謙虚な想像力と、どうしようもない悲しみと、無言の優しさがあり、現象を遠くからまなざす視点がある。その距離は、決して冷酷なものではなく、その現象を引きおこした原因を見極め、より良い未来を描いていこうとする柔らかな希望の芽を持っている。
「光」を持たないことばとは何だろう…。うまく表現できないが、個の感傷に封じ込められて身動きがとれず、どこへとも行き先が知れずに闇の向こうへ流れて行ってしまうことば。個から他者へと繋がるベクトルが切れてしまって彷徨うことば。そして、全く想像力のないことばは、異なる痛みをひきつれて、さらに人間を痛めつける。現在の政治のことばを耳にすると、言いようのない怒りと、痛みを覚えてならない。
作家、池澤夏樹の新刊エッセイ、『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』(中央公論社)を読んだ。シンボルスカの詩から引いたタイトルも良い。
すっと、心に響くことばがあり、「光」とリアリティを感じた。
日本の未来像を、そっと差し出そうとする、決して声高ではないメッセージが、行間に込められている。
被災地を巡って考えを深めていく、池澤のことばの背後に、死者たちの優しいまなざしが見えてくるのだ。死者に寄り添う心の温もりが、ことばにあるからだろう。
そして、陸前高田で生まれて育ったという池澤の友人は、この震災で母親を亡くしたという。情報の混乱の中、ようやく、郷里に辿り着き、安置所で母と対面し、棺を探した、という行を読んだ時、不意に涙が溢れた。
棺という死者を運ぶ船に、この夏の終わりに、最愛の父を乗せたのだ。
池澤がいうように、棺に納まった姿に別れを告げることは、「整えられた死者」である。残された者には心の準備がある。
しかし、津波にさらわれた人々は、棺に入ることなく逝った。
不意に訪れた死を、どう受け止めればよいのか、今のわたしには、わからない。
けれど、棺というリアルな物を目の前にした時、多くの死者の魂が心の海原に浮かんで見えた。
手に触れることのできる愛おしい人の頬がそばにあることに、私は深く感謝した。
そして、津波の向こうにいる家族を思う人々の、身を切られるほどの胸の痛みに、静かに手を合わせた。
人間は、想像力によってこそ、手を繋ぐことができる。いや、想像力しか、人間と人間を連帯という強いきずなで結ぶことはできないのではないか。
個人の経験は限られた、わずかなものであるが、他者の経験へと、想像の手を伸ばせば、痛みや悲しみを、そして、喜びを分かち合うことはできると思う。
池澤の声の狭間に、鷲尾和彦のモノクロームの写真が挟み込まれている。
仙台市、石巻市、女川町、陸前高田市、気仙沼市…。
そこには、温かな血が流れていた、愛する人々の手を失った、懐かしい多くの人々が暮らす。
膨大な死者たちの声を支えに、新しい日本が歩んでいくことを、今ここにいる、自らの呼吸に、深く刻み込むことだ。
そう、春を恨んだりはしない。
そして、春は、再び、やってくる。