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原爆

2011年8月 9日 (火)

8月9日 長崎 原爆の日

  今日は、長崎、原爆の日。

 

 現在、雨降る長崎では、平和祈念式典が行われている。

 広島同様、今年の式典への思いは複雑なものがある。

 原爆と原発。核廃絶に向けて、私たちは、どのように行動して行けば良いのか。

 66年という歳月、原爆の恐怖にさいなまれ続けた人々の苦しみが、現在の福島の人々に重なる。

 長崎の鐘が、澄んだ音色を空へと届ける。

 「平和」という言葉の尊さが、重く心に響く。

 ひとりひとりの、願いと行動が、形作る日本の未来。

 城山小学校の子供たちの歌声が聞こえてくる。

 「子らのみ魂よ」

 思い出は 白雲の彼方…

 

 この子供たちの明るい頬がより一層輝くように、祈る。

 

 

 

2011年4月15日 (金)

グランド・ゼロ

 1945年7月16日、アメリカ合衆国のニューメキシコ州、トリニティ、地球上ではじめて核爆発実験が行われた。長崎に投下された同種類の、プルトニウム爆弾が実験に使われた。

 その爆発点、グランド・ゼロへ赴いた林京子の渇いた筆跡を思い起こす。『長い時間をかけた人間の経験』(講談社文芸文庫)の一節。

 爆発点には、三メ-トルほどの石の碑がたっていた。太陽は頭上高く輝き、直射する陽は肌をひりひり焦がす。天にも地にも物の影一つなかった。私はたちすくんだ。地平線まで見渡せる荒野には風もない。風にそよぐ草もない。虫の音もない静まった荒野は自然でありながら、これほど不自然に硬直した自然はなかった。荒野は、原始爆弾の閃光をあびた日以来、沈黙し、君臨していたガラガラ蛇の生さえ受けつけなかった。大地は病んでいたのである。

 生命を生む大地が病んでいる─。私は、被爆者の先輩が母なる大地あったでことを、知った。

 これ以上大地が病むことのないように。母なる大地が健やかで在るように。

 自然がありのままの自然の姿で在るように。

 書き残されたことばが、私の想像力に訴えかけてくる。

 あらゆる生命の源、豊かな地球の力を失うことのないように。

 試されている、今。

2010年10月17日 (日)

空を流れる川 野木京子エッセイ集

 詩人野木京子さんの初エッセイ集『空を流れる川 ヒロシマ幻視行』(ふらんす堂)を読んだ。

 命、というものが発する、か細い声、耳を澄まさなければ聞こえない遠いささやき声を、著者は、いつも優しく掬いあげて、ことばにしていく。

 ヒロシマについて書かれた二章を興味深く読んだ。ヒロシマに住んだことがあるという著者は、穏やかな日常を送りながらも、常に、あの日、ヒロシマで、原爆で亡くなった人々の声を聞いていた。

 「詩は幻の声を追うことに似ている」

 死者と生者を結ぶことば、詩、の存在に深くまなざしを向ける。

 生きる日々の道のりに、そっと澄んだ水がさやさやと流れていく。

 淡い光と、深い祈り。

 ヒロシマへ心を寄せる。決して忘却されてはならない。

 人間存在の尊厳へ向けて、ことばを送る。

2010年8月 9日 (月)

1945年8月9日

 長崎に原爆が落とされてから、65年。

 平和祈念式典へ、核兵器保有国、英仏両国が参加、広島には、米英仏が参加、小さな一歩を感じることのできた2010年である。

 しかしながら、「平和」への道のりは、希求する人間の、強い叫び声とは裏腹に、遅々としか進まないのは、なぜだろう。

 ひとり、ひとりが、自分の問題として、歴史をとらえ、考え続けること。

 どんなにつたないことばでも、発信していきたいと思う。

 今ここにある、命への感謝をこめて、ひとり、祈りを捧げる。

☆長崎原爆資料館

http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/peace/

 

2010年8月 6日 (金)

1945年8月6日

 広島に原爆が投下されて、65年。

 

 気の遠くなるような歳月とは裏腹に、今なお生々しい傷を、身に心に携えた人がいる。

 

 2007年放映された、スティーブン・オカザキ監督の「ヒロシマナガサキ」を観て、もっとも驚いたのは、原宿竹下通りを歩いている日本の若者へのインタビューだ。1945年8月6日に何があったか、「知らない」と答える、無邪気な笑顔だ。

 人間には、想像力がある。生きる時間の中で、経験できることはほんのわずかだ。しかし、備わった想像力と考える力があれば、切り開いていけることはたくさんある。

 知ること、そして、学ぶこと、他者の痛みを想像すること。その先に、「平和」を創造する心が育まれていくだろう。

 映画を観た、当時6歳だった娘は、「怖い、怖い」と私の腕にしがみついていた。知ることは痛い。しかし、経験したものは、もっともっと痛い。

 知ることを恐れず、ひたむきに、人間の「生」を見つめてほしい。

 しばらくして、娘は、原爆症で亡くなった少女の本を熱心に読んでいた。

 「原爆」ということばを、忘れることはないだろう。

 心に種を播いた。

 広島平和記念資料館HP、ご覧になってください。

 http://www.pcf.city.hiroshima.jp/