フォト

最近の記事

Facebook

Twitter
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

絵本

2014年4月 5日 (土)

OPAgalleryへ、三溝美知子さん『ふわふわ ふー』絵本原画展へ行きました。

 

   今日は良いお天気で、満開の桜が美しかったです。

 昨日から始まりました、三溝美知子さんの『ふわふわ ふー』絵本原画展へ行ってきました。

Dscn0789

 

 絵本に挟まれている、付録の著者紹介と「作者のことば」が右上に、展示されています。

 

 壁をぐるりと囲む、『ふわふわ ふー』の絵に包まれていると、からだごとすっぽりと、絵本の世界の中へ入り込んでいくようで、とっても幸せな気持ちになりました。

 4/9まで、開催されていますので、みなさんも、どうぞ、足を運んでくださいね。

 

 会期:2014年4月4日(金)~4月9日(水)

 11:00~19:00会期中無休 最終日 17:00まで 

     開場:OPAgallery(東京/表参道)

     〒150-0001

     東京都渋谷区神宮前4-1-23-1F

     ℡:03-5785-2646

     http://opagallery.net/

 

2014年3月30日 (日)

三溝美知子さん 『ふわふわ ふー』(福音館書店 こどものとも 0.1.2.) 絵本原画展のお知らせ

 

  もうひとつお知らせです。

  赤ちゃん絵本『ふわふわ ふー』の発売に合わせて、画家の三溝美知子さんの絵本原画展が開催されます。

 

 原画からは、細密な筆の動きが生き生きとした躍動感をもって伝わってきます。まるで、キャンバスから飛び出してくるかのような、うさぎの愛らしい姿、は、本当にさわってみたくなるのです。

 

 絵本と同時に、楽しんでいただけたらうれしいです。どうぞみなさま、お誘いあわせの上、お運びください。

 

    会期:2014年4月4日(金)~4月9日(水)

 

     11:00~19:00会期中無休 最終日 17:00まで

     オープニングパーティ4月4日(金)18:00~20:00

 

    開場:OPAgallery(東京/表参道)

    〒150-0001

    東京都渋谷区神宮前4-1-23-1F

    ℡:03-5785-2646

    http://opagallery.net/

20140404samizo.jpg

 

 

祝! 赤ちゃん絵本『ふわふわ ふー』(福音館 こどものとも O.1.2. 5月号)誕生しました。

 春の陽射しがまぶしい季節となりました。

 

 はじめてテキストを手掛けた絵本『ふわふわ ふー』(福音館書店 こどものとも 0.1.2. 5月号)がようやく完成! 手元に届きました。10か月から2歳くらいのお子さん向けの絵本です。絵は、三溝美知子さんが描いてくださいました。

Dscn0777

 「ふわふわ」ということばのリズムや響きを、目と耳で楽しむ絵本。うさぎ、ひよこ、くりーむ……。たくさんの「ふわふわ」たちが登場します。

Dscn0780

 スマホのアプリで赤ちゃんをあやすような時代ではありますが、やはり、お母さんやお父さんの膝の上で、ゆっくりと絵本をともに楽しむ時間は、親にとっても子供にとっても宝物ではないでしょうか。時代が変わっても、親と子を結ぶ大切な時間の在り方は、変わらないと思います。

 

 春の日にふさわしい、あたたかで、優しい絵本となりました。たくさんのこどもたちの笑顔へと、届きますように。

 

 4月1日発行、全国書店で発売されます。定価は、本体389円+税となり、420円です。みなさまどうぞ手に取ってみてください。ふわっとあったかい気持ちになれますよ。

2014年2月 8日 (土)

2014年 福音館月刊誌刊行予定  

 

 福音館書店ホームページをのぞいてみると…

2014年 福音館月刊誌刊行予定が掲載されていました。

もうすぐ、『ふわふわ ふー』5月号、誕生します。楽しみです。

http://www.fukuinkan.co.jp/mag_schedule.html#01

2011年10月12日 (水)

スーザン・バーレイ『わすれられないおくりもの』

  とても大切な、愛する人を突然失ったとき、何がその悲しみの涙を受け取ってくれるだろうか。

 心にぽっかりと空いてしまった穴、深い闇へと、無限にあふれる涙が、ただただ限りなく落ちていくばかりだ。

 日々の生活は、型どうりに営まれるが、ふといつも呼び掛ける人が、傍らにいない。

 帰ってくることばが聞こえない虚しさ。空間の広がりが重く心にのしかかり、自らの孤独を一層深めていく。

 喪失を埋める唯一の手立ては、「行き過ぎる時間」のみだが、「物語の時間」が、胸の痛みを和らげてくれることがある。

 スーザン・バーレイ著 小川仁央訳『わすれられないおくりもの』(評論社)は、ある森に暮らすかしこいアナグマの死とその仲間たちの物語。

 年老いたアナグマは、ある日、仲間たちに手紙を残して、長いトンネルの向こうへと旅立ってゆく。

 「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマより」

 深い悲しみに仲間たちは、アナグマのことばかり考えて暮らしていく。悲しまないなんて無理なこと…。

 そして、涙にあふれるつらい冬が行き過ぎ、春が訪れ、みんなはアナグマの思い出をめいめいに語り始める。

 それぞれが、アナグマに教えてもらったことがあったのだ。

 モグラは、上手な鋏の使い方を、カエルはスケートを、キツネはネクタイの結び方を、ウサギのおくさんは、お料理を。

 アナグマから贈られた、愛にあふれた、豊かで大切な「知恵」や「工夫」。

 アナグマは、死んでしまったけれど、アナグマの思い出は、贈り物は、ずっと、仲間たちの心に永遠に生き続けていくのだ。

 ひとつの命が生き、その生を終えることの豊かさを、この絵本はそっと、教えてくれる。

 無形の贈り物を、わたしたちは、どれだけこの生に受け取っていることだろう。

 多くの夥しい死が、残してくれた贈り物。

 現在の生活の全てが、死者たちの「知恵」や「工夫」の上に支えられていることを、改めて感じさせられる物語だ。

 もういちど、立ち止って見よう。

 もし、あなたが深い喪失に出会ったならば、あたりまえの日々は、あたりまえではなくて、かけがえのない、贈り物に満たされていることを。

 今、日本を覆い尽くしている、大きな悲しみ。その悲しみが癒されることは、簡単なことでない。長い時間を必要とするだろう。そして、日々の生活の温もりこそが、ひとりひとりの生を支え続けることだろう。

 悲しみの感情というものは、とても頑なな物だ。

 けれど、凍りついてしまった心に、愛する人の声は響いてはこない。

 ゆっくりと心を開いて、『わすれられないおくりもの』のページをひもといてみよう。

 そこには、きっと、懐かしい人の、心があり、ことばがあり、笑顔がある。聴きなれた声が聞こえてくる。

 あなたも、わたしも、みんなが森の仲間だと気づく。

 そして、優しいアナグマが、手を振ってくれる。

 その手のひらが見えたら、心から、このことばがこぼれ落ちてくるだろう。

 「ありがとう、アナグマさん。」

 何千回も何万回も、贈りたいことばだ。ありがとう、ありがとうと。

 心の春の温かさへ向けて、一歩一歩、歩いていこう。だって、あなたの、大切な愛しい人は、いつも、いつだって、そばにいるのだから。

 

 

 

 

2011年9月14日 (水)

ユリ・シュルヴィッツの絵本『ゆき』

 晩夏の日差しがまぶしい。

 もうひと頑張りかと言わんばかりの夏の太陽。

 額に流れる汗をぬぐいながら、これから訪れる季節を思った。

 ポーランド生まれの絵本作家、ユリ・シュルヴィッツの『ゆき』(さくまゆみこ訳 あすなろ書房)を開く。

 「ゆき」が灰色の空から舞い降り、ゆっくりと人を町をまっ白に包んでゆく。

 ストーリーはただそれだけなのだけれど、物言わぬ「ゆき」の静かな思いが伝わってくるようなのだ。

 ページをめくるごとに、ゆきがどんどん、心へと迫ってくる。

 肩にそっと触れた手が、いつのまにか、身体全体を抱きしめているかのように。

 まっ白に輝く「ゆき」の無償の愛に包まれてゆく。

 「ゆき」の静かな守護を感じる。

 しんしんと降る雪を見つめていると、心の奥底から、なにか敬虔な感情が立ち上ってはこないだろうか。

 「ゆき」は、ものみな魂の静かな安らぎを祈っているかのようだ。

 今年の冬、ゆきは訪れるだろうか。 

ゆき

2010年11月 6日 (土)

伊勢英子の『よだかの星』

 あらゆる芸術作品の背後には、必ず、作り手の内面の叫びが聞こえてくる。

 宮澤賢治どうわえほん『よだかの星』の、伊勢英子の絵には、よだかの存在の叫びと共鳴した、「生」というものの不条理と苦しみが伝わってくる。

 みにくい鳥、と呼ばれ、名を変えろと迫られる。生きる意味、存在の意味を問い続け、ひときわ輝く星になって、消えていく、哀しい鳥、よだか。

 伊勢英子は、よだかの叫びを表現するために、紺や青の美しい空の下地に、おびただしい色の赤を塗りこんだという。

 ページをめくるたびに、静かな青の静寂の背後に、よだかの血が流れ、よだかの声が聞こえてくる。

 「なんにもわるいことをしたことがない。どうして、ぼくは、いやがられるのだろう?」

 誰にでも、自らの存在に「なぜ?」と問う瞬間が訪れる。

 解けない疑問に揺れ、燃えるような夕焼けを見つめながら、うなだれる日があるだろう。

 生と死。

 めぐりゆく時間の中に一瞬、光り輝く命の灯火。

 伊勢の描く、空は、哀しい。けれど、その根底には、よだかのピュアな優しさが、生の意味を真摯に問い続ける誠意が、色と色のはざまにそっと、見え隠れする。

 筆を、絵具を、幾度も幾度も紙にあてる、画家の背中が見えてくる。

 

 夜空を見上げれば、一番星が、きらめいている。

 

2010年10月18日 (月)

なぜ 戦争はよくないか

 黒人差別問題を扱った作品、『カラーパープル』の著者、アリス・ウォーカーの絵本、『なぜ戦争はよくないか』(偕成社)は、黒のストイックな装丁とストレートなタイトルで、目を惹く。

 そっと、かたわらにいる子どもたちに語りかけるように、「戦争」のまなざしを通して、「戦争」を語る。

 戦争だって

 自分の考えをもっているわ

 だけど けっして知ろうとはしないのよ

 じぶんがいま おそおうとしているのが

 だれなのかを

 わらの匂いをかぐロバと、夕食のポレンタと卵のことを考える男の子、子守唄を歌いながら赤ん坊を抱く母親、あたりまえの穏やかな日常に、「戦争」は襲いかかる。

 

 戦争は

 たくさん経験を積んでも

 少しも賢くならないのよ 

 じぶんのものじゃない

 どんなものも

 戦争は

 へっちゃらで

 破壊してしまうの

 戦争よりもずっと

 ずっと古いものだって

 へっちゃらで

 戦争は、少しも学ぶことなく、悲劇を繰り返す。さまざまなものを破壊し、食べつくし、「戦争が食べつくしたあとに のこるのは 大地に たまった 唾液みたいな ぬるぬるとした 水たまり それが しみだして 地下水に まじって 村の 井戸水に入りこむ」

 その水は人を蝕む。体だけではなく、きっと心も。

 この戦争の水がしみ込んだ大地の上に立つ私たちは、どうすればよいのか。

  それでも

  戦争が正しいというなら

  ある日 

  みんな

  飲まなければいけなくなるわ 

  戦争のしみこんだ

  水を

  この場所で

  突き放すように終わるラストページ。深い井戸を覗き込む人々の真上は満月が美しく輝く。

  著者は、現実を淡々と語る。さりげなく、深い祈りを背後に抱えて。

 数年前に来日した際、彼女が言ったことばを思い出す。

 「東京の大地は、もうこれ以上建物はいらないっていってるわ」

 

 

 

 

2010年5月21日 (金)

あなたが あなたであること

 マーガレット・ワイズ・ブラウンの『たいせつなこと』(フレーベル館)、シンプルなことばが、胸に届く。

 グラスや、スプーン、ひなぎくや、あめ、くさ、かぜ、そら…。それぞれの存在のたいせつさが、やわらかなことばで、表わされる。

 

 そらは いつも そこに ある

 まぎれもなく あおくて

 たかくて くうきに みちている

 そして ときおり

 くもが とおりすぎていく

 

 でも そらに とって

 たいせつなのは 

 いつも そこに ある

 と いうこと

 あたりまえに目の前にあるものの、存在の豊かさに、ふと気づかされる。

 そして、最後のページには、

 あなたは あなた

 

 あかちゃんだった あなたは

 からだと こころ を ふくらませ

 ちいさな いちにんまえに なりました

 そして さらに

 あらゆることを あじわって

 おおきな おとこのひとや おんなのひとに

 なるのでしょう

 でも あなたに とって

 たいせつなのは

 あなたが

 あなたで

 あること

 ひとつの命、すべては、ただひとつの、かげがえのない、命である、ということ。

 小さな膝から、ゆっくりと、大きくなるであろう手へ、何度でも、届けたい絵本だ。

<a href="http://kamiizumikaoru.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/05/21/2010_5_20_001.jpg" class="mb"><img alt="2010_5_20_001" title="2010_5_20_001" src="http://kamiizumikaoru.cocolog-nifty.com/blog/images/2010/05/21/2010_5_20_001.jpg" width="300" height="400" border="0"  /></a>

2010年5月20日 (木)

おおきな きがほしい

 子供の頃、木登りが大好きだった。小学校の裏庭にある、大きな銀杏の木によく登った。

 一歩一歩登っていくと、空の青さに手が届きそうでわくわくした。また、登った高みから、真下を覗くと、いろいろな物が小さく見えて、世界が反転していくような幻惑に、不思議な感覚を覚えたことを、鮮明に思い出す。

 さとうさとる著の『おおきな きがほしい』(創作えほん)は、主人公かおる、という男の子が、おおきなきに、自分の小屋や、見晴らし台をつくり、季節の彩りを楽しむお話だが、ページのレイアウトに、工夫がなされていて面白い。

 見開いたページを、縦に回して読むページがところどころ、挟み込まれ、かおるが、おおきな木に登っていくリアリティを感じられる。

 想像の木の小屋での、営みの和やかさが温かく、伝わってくる。

 見晴らし台から、遠くの山を見、風が頬をなで、さわさわとはっぱが揺れ、そのただなかで、かおるがつぶやくことば。

 「ぼく、とりに なった みたいだ」

 果てない自由を、希求する心を感じる。

 愛おしい自由へ。心も体も解き放ちたい。そんな人間の原初的な欲求と、幼年への郷愁と、思い出させてくれる絵本だ。

<a href="http://kamiizumikaoru.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/05/20/2010_5_20_008_3.jpg" class="mb"><img alt="2010_5_20_008_3" title="2010_5_20_008_3" src="http://kamiizumikaoru.cocolog-nifty.com/blog/images/2010/05/20/2010_5_20_008_3.jpg" width="300" height="400" border="0"  /></a>