とても大切な、愛する人を突然失ったとき、何がその悲しみの涙を受け取ってくれるだろうか。
心にぽっかりと空いてしまった穴、深い闇へと、無限にあふれる涙が、ただただ限りなく落ちていくばかりだ。
日々の生活は、型どうりに営まれるが、ふといつも呼び掛ける人が、傍らにいない。
帰ってくることばが聞こえない虚しさ。空間の広がりが重く心にのしかかり、自らの孤独を一層深めていく。
喪失を埋める唯一の手立ては、「行き過ぎる時間」のみだが、「物語の時間」が、胸の痛みを和らげてくれることがある。
スーザン・バーレイ著 小川仁央訳『わすれられないおくりもの』(評論社)は、ある森に暮らすかしこいアナグマの死とその仲間たちの物語。
年老いたアナグマは、ある日、仲間たちに手紙を残して、長いトンネルの向こうへと旅立ってゆく。
「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマより」
深い悲しみに仲間たちは、アナグマのことばかり考えて暮らしていく。悲しまないなんて無理なこと…。
そして、涙にあふれるつらい冬が行き過ぎ、春が訪れ、みんなはアナグマの思い出をめいめいに語り始める。
それぞれが、アナグマに教えてもらったことがあったのだ。
モグラは、上手な鋏の使い方を、カエルはスケートを、キツネはネクタイの結び方を、ウサギのおくさんは、お料理を。
アナグマから贈られた、愛にあふれた、豊かで大切な「知恵」や「工夫」。
アナグマは、死んでしまったけれど、アナグマの思い出は、贈り物は、ずっと、仲間たちの心に永遠に生き続けていくのだ。
ひとつの命が生き、その生を終えることの豊かさを、この絵本はそっと、教えてくれる。
無形の贈り物を、わたしたちは、どれだけこの生に受け取っていることだろう。
多くの夥しい死が、残してくれた贈り物。
現在の生活の全てが、死者たちの「知恵」や「工夫」の上に支えられていることを、改めて感じさせられる物語だ。
もういちど、立ち止って見よう。
もし、あなたが深い喪失に出会ったならば、あたりまえの日々は、あたりまえではなくて、かけがえのない、贈り物に満たされていることを。
今、日本を覆い尽くしている、大きな悲しみ。その悲しみが癒されることは、簡単なことでない。長い時間を必要とするだろう。そして、日々の生活の温もりこそが、ひとりひとりの生を支え続けることだろう。
悲しみの感情というものは、とても頑なな物だ。
けれど、凍りついてしまった心に、愛する人の声は響いてはこない。
ゆっくりと心を開いて、『わすれられないおくりもの』のページをひもといてみよう。
そこには、きっと、懐かしい人の、心があり、ことばがあり、笑顔がある。聴きなれた声が聞こえてくる。
あなたも、わたしも、みんなが森の仲間だと気づく。
そして、優しいアナグマが、手を振ってくれる。
その手のひらが見えたら、心から、このことばがこぼれ落ちてくるだろう。
「ありがとう、アナグマさん。」
何千回も何万回も、贈りたいことばだ。ありがとう、ありがとうと。
心の春の温かさへ向けて、一歩一歩、歩いていこう。だって、あなたの、大切な愛しい人は、いつも、いつだって、そばにいるのだから。