ことばに立ち止る時
リビングルームで宿題をしていた時のこと。
「書きたくないな、この字」と、娘は、困った顔をしている。
どれどれ、と漢字練習帳をのぞくと…
「殺」という漢字。
「テストのときはしょうがないけどね、書きたくないよ。」
言葉の力、メッセージに立ち止る感性、大切なことだ。
何気ない日常に紛れ込んでしまっている、理不尽な「死」に、心を痛めるニュースが多い。
「本当ね」
深く納得して、私は、ことばを失った。
かくして、私の中に、娘に捧げる「詩」が生まれた。
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リビングルームで宿題をしていた時のこと。
「書きたくないな、この字」と、娘は、困った顔をしている。
どれどれ、と漢字練習帳をのぞくと…
「殺」という漢字。
「テストのときはしょうがないけどね、書きたくないよ。」
言葉の力、メッセージに立ち止る感性、大切なことだ。
何気ない日常に紛れ込んでしまっている、理不尽な「死」に、心を痛めるニュースが多い。
「本当ね」
深く納得して、私は、ことばを失った。
かくして、私の中に、娘に捧げる「詩」が生まれた。
昨日地域の夏祭りが行われ、「わっしょい! わっしょい!」、威勢の良い子供たちの声が夏空に響いた。
お昼ごろ、神輿を担いでいるはずの娘が、急に家に帰ってきた。
もしや、この暑さで具合が悪くなったのでは?
心配になって、玄関を開けると、
「歯が抜けた! じゃあね、バイバイ!」
と、風のように出て行った。私の手に小さな乳歯を乗せて。
何年間か、お世話になった、小さな歯。娘の成長を支えてくれたもの。
とても愛おしいが、もう必要のないもの。
口元にすり抜ける、小さな隙間から、また新しい世界の風が吹き込んでいくのだろう。
元気にまた、声が響いてきた。「わっしょい! お賽銭お願いしま~す!」
子供たちの間で、流行っているローラーシューズ。かかとにローラーがついていて、一見普通のスニーカーに見えるのだが、かかとに重心をおくとローラースケートのように、滑ることができる。
このローラーシューズでの事故が急増していると、新聞記事で読んだ。確かに、道を歩いていても、すっと、隣に走りだしてくる、ローラーシューズを履いた子供がいて、ドキッとすることが、最近多い。
流行りのものを、みなで共有する喜び。少しだけ、早く進む歩みは、背伸びしてみたい子供の心を刺激するのだろう。
友達とおそろいのローラーシューズで、駆け出していく娘。
楽しみと危うさの間で、揺れるまなざしで送り出す日々。
学校に「小さな空間」、「秘密基地」をつくる取り込みが進んでいるという。
千葉市立美浜打瀬小学校には、教室のそばに、白い円筒形の空間が在り、真ん中に青い丸いテーブルが置かれ、4、5人でいっぱいになる広さ、友達と喧嘩したとき、この空間に連れてくると、落ち着くそうだ。
子供にとって、環境が大切とは、よく言われることだが、一日の時間の大半を過ごす、学校に、こんなスペースがあったら、面白い。
まだ、胎内の記憶が色濃く残る幼少期、丸くなれる空間、ひそやかに呼吸できる空間は、本能的な安心感を生み、健やかな心が育まれていくのだろう。
犯罪を犯した人の過ごす部屋の壁紙をピンク色に変えたら、すっと、心が落ち着いたという症例を思いだした。これは、色が与える影響だが、やはり、胎内記憶を誘発する、環境の効果なのだろう。
そろそろ、一人部屋が欲しいと言い出した娘にも、どこかに「秘密基地」を創れたらいいな。作戦を練ろうと思う。
お気に入りのカップに、小さなひび割れができた時、一瞬、とても切なくなる。
でも、すぐにカップは生まれ変わり、シュガーや、カラトリー入れになり、目をなぐさめてくれる。
『子どもの心のコーチング』(菅原裕子著 PHP文庫)の終わりに、「ひびわれ壺」という、印象に残るお話が書かれている。
インドのある水汲み人足は二つの壺をもっていた。ひとつは、完璧な壺、もうひとつは、ひび割れ壺。天秤棒に二つの壺を下げて、小川から、ご主人さまの家に水を運ぶのだが、完璧な壺は、一滴も水をこぼさないのに、ひび割れ壺は、半分しか運べない。
二年の歳月が過ぎ、ひび割れ壺は、半分しか水を運べない自分を恥じ、水汲み人足に言う。
「…私はこのひびのせいで、あなたのご主人さまの家まで水を半分しか運べなかった。水が漏れてしまうから、あなたがどんなに努力しても、その努力が報われることわない。私はそれがつらいんだ。」
水汲み人足は言う。「これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いているきれいな花を見てごらん」
水汲み人足は、ひび割れ壺が通る側に花の種をまいた。ひび割れ壺は毎日、種に水をまいたのだ。そして、ご主人さまの食卓をいつも美しい花で飾ることが出来た。
私たち人間は、みな様々な「ひび割れ」を持つ、「ひび割れ壺」であり、親の役割は、子どもの「ひび」のために、種をまくことだと、菅原氏は書いている。
確かに、みな、ひび割ればかりだな、でも、人という器の中には光を浴びる瞬間を待つ可能性がたくさんつまっている。「ひび」を責めて、柔らかな心の壺を割ってしまわないように。
自分の「ひび」も、こどもの「ひび」も、愛おしい存在意義。
己の人生に、色とりどりの美しい花を咲かせよう。種まきと、水やりをかかさずに。
娘のモダンバレエの発表会が近い。
衣装チームの私。今年は何を作るのか、というと……。
蜂の「触覚」、である。モールをくるくると丸めて。
これまで作った小道具は、兎の耳やしっぽ。踊りの中で子供たちは、兎になったり、熊になったり、蟹や、蜂や、ネズミになったりする。
そこで、衣装の小道具に必要になるもの。人間ではないので、耳やしっぽを作ることになる。とてもかわいらしいが、3年生になった娘は、そろそろ「人間の踊りがいいなぁ…」と、高学年のお姉さんたちが踊る、アヴェマリアのしっとりとした踊りにあこがれ始めている。
「触覚」をつけたら、もっと敏感に世界を感受するかもしれない。
お姉さんの階段を一歩ずつ登っている。