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経済・政治・国際

2011年2月16日 (水)

凍った雪が溶けたら

 一面の凍った雪が溶けたら、新生された、春の大地が顔を出す。

 日々刻々と次の季節の気配、足音が聞こえてくる。

 世界は混沌としており、これから歩いてゆく道は、予想もつかない。

 スフィンクスが怒涛を上げて、動き出し、その波の影響が、どんな変化をもたらすのか。

 ここ、日本の政(まつりごと)は、偽りの“ことば”のメッキがどんどんはがれてゆく。

 偽りの雪が市民の熱によって、溶かされたら、どんな革命が起こるだろうか。

2011年1月26日 (水)

ことばのリアリティ

 画面から聞こえてくる、管直人首相のことば、なんとリズムのない人なんだろう、と疑問を感じていた。訴えるフレーズがない、印象に残る表情もない。

 人は環境や立場によって、つくられていくもの、日を追うにつれ、首相らしくなっていくか、と思っていたのだが、全くその気配が見えない人。

 今朝の朝日新聞、現在の政治状況について、若き哲学者の佐々木中の論説を読んで、深く、納得させられた。

 今、国民を心から納得させ得る政治家がいないのは何故か。それは、「演説が、文章が、ヘタだからです」と、佐々木は言う。そして、「政治が取り戻すべきは文学である」とも。

 演説が下手、確かに。

 演説する術を古代ギリシャではレトリケー、雄弁術、修辞学とも訳され、アリストテレスはレトリケーの本質を「論証」といっており、堂々たる雄弁によって、民衆の納得と同意を獲得する技芸(アート)が、今の日本の政治家には失われている、とも。

 佐々木のことばは、明快ですっきりしていて、わかりやすい。

 今、この国の政治家のことばの背後には、諦念や、自己保身や、事なかれ主義が流れており、国をよりよくしていこうという信念が見えてこない。

 私たちにできること。それは、耳を鍛えておくこと。ことばの背後に本質を見抜く力を携えておくこと。惑わされることはない。

 そう、今日も、文学を読もう!

 

 

 

2010年11月24日 (水)

村が燃えている

 黒煙と火柱の映像。

 すぐそばで聞こえる悲鳴。

 既に見てきたはずの記憶が蘇る。

 負の連鎖。

 怒り、悲しみ、人間の傲慢さ。

 村が燃えている。

 村が燃えている。

 柔らかな命の灯火を打ち消す、無意味な暴力。

 

 村が燃えている。

 

2010年9月18日 (土)

有言実行内閣とは

 管直人首相の「有言実行内閣」発言を画面で見た。

 なんともセンスのないことば。政治家の、それこそ、「有言実行」とは程遠い、ことばと振る舞いに翻弄されている国民に、そのことばは、どこまで響いて行くのだろうか。

 言霊というものを改めて考えさせられる。

 政(まつりごと)とは、本来もっと、神聖なる力を持って、国を守り、国を豊かにしていくものであるはずだ。

 何か大切なものが欠落していく日本。

 この国の行方はいずこ?

 

2010年8月 3日 (火)

クラスター爆弾禁止条約

 1日、クラスター爆弾の使用や製造を禁じる条約が発効された。日本をはじめ、108カ国が署名、38カ国が締結したというが、大量のクラスター爆弾を保有する米国、ロシア、中国は未加盟のままだ。

 破壊が生むものは暗黒の未来だけである。

 地球の波動を美しく、豊かなものにしていくために、見えない場所にある暴力に、ノー、と言わなければならないと思う。

 

2010年8月 1日 (日)

数センチの枠の中で

 イスラエル、ガザ空爆の新聞記事。

 ちいさな枠のなかの、おおきな痛みを感じる、ニュース。

 「イスラエル軍は7月30日夜、パレスチナ自治区ガザにあるイスラム組織ハマスの関連施設や南部ラファの密輸トンネル地帯など3か所を空爆、ガザからの情報ではハマス戦闘員の幹部1人が死亡、民間人を含め13人が負傷した。…」(朝日新聞 朝刊 8/1)

画面には土煙、灰色の映像、声にならない悲鳴に満ちあふれ、終わりのない、爆音。

 

 ひとり、ひとり、に一体、何ができるのか? 

 まなざしを向けること。決して、無関心にならないこと。

 内省すること。人間の在り方について、考えをめぐらすこと。そして、身近な「扉」を開けること。

 

 

 

 

2010年6月 3日 (木)

 鳩山さん辞任のニュース。着任し、支持率がウナギ登りの時は華やかなオーラに満ちていたが、自身の政治資金や、普天間問題に揺れていくただなかの瞳は、うろうろと、定まらず、顔は薄ぐもっていった。

 本当に画面は、正直だ。

 短命の総理大臣が続く。

 娘は毎日「普天間問題はどうなるのかな?」と興味がある様子。

 

 「鳩山さん、どうしてやめちゃうの?」

 今年、学校の運営委員に選ばれ、はりきっている娘は、

 「もう少しがんばればいいのに、あと少しで1年なのにね」という。

 学校の委員さんも、どんなに大変でも1年は頑張るものだな、と改めて思う。

 子供の世界よりも、大人の世界の方が、無秩序で、無責任なのかも…。子供手当よりも、もっとできることがあるはずだ。

 「今の政治の人、いいお顔の人がいないね。」

 真実は、まっすぐ、子供の心に届いているようだ。

2009年8月24日 (月)

ひとつの意思

 テレビをつければ、選挙のニュースがひっきりなしに流れている。

ひとつの意思を投じるために、何を選べばよいのか、考えさせられる。

政治家の唇からこぼれる「ことば」に、どれだけの真実が、実行力があるのか。

 瞳を閉じて、しっかりと届く声を見極めたい。

 人の本質が透けてみえてしまうテレビ画面を前に、沈黙するばかりだ。

2009年4月27日 (月)

一京円の謎

一京円(いちけいえん)という聞き慣れないことば。

一京円とは、一兆円の一万倍という単位だと、記述されていた。(広瀬隆著『資本主義崩壊の首謀者たち』)

広辞苑を開くと、京、は、京都、東京の略を示すほかに、数の単位とあり、㋑億の一億倍。兆2㋑の一万倍。すなわち10の十六乗。㋺古くは、兆2㋺の10倍。すなわち10の七乗。と書かれてある。

身近な、「京」の文字に潜むもう一つの意味。ことばの多様性に驚く。

そして、2005年、全世界の金融資産の総額、120兆ドルとなり、この一京円という単位を超えた、という記述にも驚かされた。

はるかな、0、の羅列が、宇宙を取り巻き、わたしたちの生活を取り巻き、人の道が見えなくなっていく。言葉の持つ果てしない可能性と、そこに届かない人間のまなざし。

0、0、0、0、…

0、だけでは、無。果てしない無があるだけだ。

2009年4月 8日 (水)

数について

子供たちに数を教えている。

リンゴ3個とみかん2個、合わせていくつ?

1から5まで数えられたら、次は10まで。

家族は何人? お友達は何人? 小鳥は、リスは、チューリップは?

私たちの生に、「数」は、とても親しい存在だ。

独り、単体としての個。1人、からスタートする生が、成長とともに広がりを見せる時間の中で、数は、少しずつ増えていく。

『アラブ、祈りとしての文学』(岡 真理著、みすず書房、2008)の、ある記述に立ち止まる。

「二章、数に抗して」のパレスチナ人の死者数。「人間の生にとって非日常であるはずの出来事がこの頃パレスチナでは日常と化し、「遺された者たちの悲嘆はありふれたものとなった」」。

愛する者たちの死が、「ありふれたもの」と化す現実とは、どのような感覚なのか。

イラク戦争へメディアのまなざしが注目されている影で、日々確実に殺されていたパレスチナ人がいた。しかし、その統計における死者数が、「大量」でない限り、報道されないという事実。

「他者の命に対する私たちの感覚は、桁違いの数字という衝撃がなければ痛痒を感じないほど鈍感なもの…」となっていく現実とは。

十数人の生が暴力的に失われていく毎日。一人一人の生の重みが希薄になっていく恐ろしさ。

人は、1人なら「名」を呼ばれる。1人から複数へと数が増していくに従って、「数」にまとめられていく。生も死も。まとめられ、くくられ、歴史の流れへと宙づりにされる。

しかし、今、温かな血が流れる肉体を持つ、一人の人間であるならば、「世界の無関心がパレスチナ人に対する殺戮を可能にしているのだ」という言葉に、耳を傾け、心を向けなければならないだろう。

「見えるもの」を「見る」。「見えない」ものにしないことだ。

血と砂と叫び、が、文脈から迸る。岡真理の真摯なことばから、「人間」の声にならない声が聞こえてくる。生ぬるい風が、ページから吹きよせてくる。

ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。色とりどりの鮮やかなおはじきを宙に飛ばして、

小さな手のひらに握る、子供たちの澄んだ目に、数の記憶はどのように刻まれるのか。

愛おしい生のきらめきの側へ。畳み込む数を、願った。

地上に生かされる人間の尊厳。共有を数えたい。