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日記・コラム・つぶやき

2015年5月 5日 (火)

神泉薫著作、どうぞよろしくお願いいたします。

  神泉薫の著作、下記にリンクを貼りました。ご興味がありましたらぜひ見てください。

どうぞよろしくお願いいたします。

  現在、新しい絵本、詩集、評論集を準備中です。

神泉 薫著作

 

第一詩集『火よ!』(中村恵美名義)第8回中原中也賞

 

http://www.amazon.co.jp/dp/4879955388

 

第ニ詩集『十字路』(中村恵美名義)

 

http://www.amazon.co.jp/dp/4879956341

 

第三詩集『あおい、母』平成24年度茨城文学賞

 

http://www.amazon.co.jp/dp/4879958522

 

赤ちゃん絵本「ふわふわ  ふー」(絵 三溝美知子 )

 

http://www.fukuinkan.co.jp/magadetails.php?goods_id=23224

2015年1月 8日 (木)

「所有」という感覚を問い直す

 
  新しい年を迎えた。清々しい朝日を見つめながら、月並みながら新年の抱負を考える。
 
2014年の大晦日の明け方、ある夢を見た。自然災害が予想される、赤と黒で彩られた映像。
 
日本列島を震撼させるだろうその映像は、覚束ない夢ながら一つのリアリティをもって私の胸に迫ってきた。
 
 
  その日から、「所有」という感覚にまなざしが向くようになった。人類は、所有すること、そのものに限界がきているのではないかと。
 
 
身の回りにあるあらゆる物。それは、自分のものでありながら、本来は、宇宙から一時的に与えられた、仮の所有物ではなかろうか。
 
 
この肉体も、人の世を旅する魂の入れ物。数十年の間、借りているだけ。いつか、天へと返す日が訪れる。
 
 
物を買う、そのことで得られるひと時の豊かさや、経済性のみ追及していては、心は貧しく、枯れていくばかりだ。
 
  何が真の豊かさなのか、物の重力から解放されて、もっと軽やかな肉体と精神をもって歩ん
でみたいと思う。
 
去年の抱負は、体系的な読書。こちらは、ほぼ達成でき、豊かな実りをもたらしてくれた。こちらは引き続き、今年も目標をもって進めたい。
 
今年の目標は、身軽になること。心の側には、柔軟な力強さを積み重ねていくこと。他者の意見に振り回されず、己の信念に沿って行動すること。
 
  ただ、本の物質性にだけは、負けて、どんどん増えていくのだが、本は心の食料なので目をつぶることにする。しかしながら、自らの内面に書き込んだら、手放すことも覚えよう。
 
さて、新しい目標を掲げたら、あとはひたむきに進むのみ。
 
開かれた明日の余白を充実したものにするために。
 

2014年9月 4日 (木)

詩人、作家の稲葉真弓さん逝去

  稲葉真弓さんの逝去の知らせから、3日が経った。時間の流れや、秋の風がからからと心をすり抜けていく。9月1日にフェイスブックに掲載した文章を、転記しておく。あの日を、忘れないように。

 今朝、少し薄曇りの空の下、開いた新聞で見た稲葉真弓さんの訃報から、ずっと彼女の涼やかな聲が耳元で鳴っている。


   昨秋、10月13日、銀座資生堂ビル、花椿ホールで開催された、Projet La Voix des Poètes (詩人の聲)1000回記念公演の際の稲葉さんの姿を思い出していた。

 稲葉さんの出演時間が近づいた時、会場前へ移動して頂くために声をかけた。薄闇の中、ゆっくり誘導した。稲葉さんは、前方に天童さんの姿を見ると、いつものお優しい笑顔をくしゃっと見せて、近づいて行かれた。一瞬の、人懐っこい自然な微笑みが印象的だった

 その日、参加詩人は、原田道子さんが作って下さった小さな金色のリボンを身につけた。それぞれ好きな場所、胸元や襟元に。

 稲葉さんは、薄いグレーのベレー帽にそっとつけていらした。小さな金色の蝶が、親しげに止まっているようで可愛らしかった。

 あの金色のリボン、蝶の光は、「なにもかもを忘れていく/宿命のような人生のなかで」光り輝く「いま生きていることの喜び」だったのかもしれない。(「」内は、『連作・志摩 ひかりへの旅』「金色の午後のこと」)

 また、繰り返し、秋という季節がおとずれる。あの日からまだ一年も経っていない。稲葉さんのベレー帽から飛び立ってしまった蝶を、今年は見上げる。

                                     (9月1日神泉薫 FB記事より)

2013年8月26日 (月)

民俗学者、谷川健一の仕事

 先日、24日、民俗学者の谷川健一が死去した。

 本棚を見渡せば、『日本の地名』、『日本の神々』、『柳田国男の民俗学』、『心にひびく 小さき民のことば』(いずれも岩波書店)、など、感銘を受けた著作が置かれてある。

 谷川の文章を読み進めていると、名もなき人々の暮らしの息遣いが聞こえてくる。柔らかな小さな命の足跡、その生きた軌跡が。

 日本の地名に宿る力、土地の精霊の力を、真摯に見つめた人の仕事を、もういちど再確認する必要があるだろう。

 『小さき民のことば』、あとがきに書かれた印象的なことば。

 「権力から最も遠い「無告の民」の言葉は、どこか全身で自分の哀歓を示す生物たちに似通っている。舌足らずであったり、繰返しが多かったりしても、小さき者の真摯な叫びには、宇宙の無辺際の愛につながるものがあり、明恵上人もかならずや心耳を傾けてくれると信じたい」

 愚直に生きたであろう民のことばの中に宿る力や愛を、谷川は見つめていた。そのまなざしの意味するものを深く考えねばならない。重力のある仕事を成し遂げた人が逝く。それは、日本という国がまた、衰弱してゆくことにつながる。

 ことばに力を。この魂にぶれない軸を。

 ご冥福を心より祈る。

 

2013年7月11日 (木)

夏の日に

 連日の猛暑日。つらいけれど、真っ青な空を見上げるのは気持ちがいい。

 

 昨年、7月、詩集『あおい、母』を出版した。まもなく1年になる。なんという時の流れの早さか。もう何年も前のことのように感じる。

 

 作品というものは、自らの手から離れてしまうと途端に、もっとも遠い存在になるもので、つい昨年の詩集でも、愛着はあるが、関心がなくなってしまう。次の新しい作品へ、軸足は移っているが、世界の移ろいの早さをみていると、まなざしは、揺らぐばかりだ。

 

 来春は、初めてテキストを手掛けた絵本の出版を控えている。また一歩、新しい道を広げていく。楽しみなことだ。

 

 今日も、ことばを開拓していく。

2013年5月20日 (月)

中一数学の謎

 中一数学の問題、2の0乗はいくつになるか?

 皆さんは覚えていますか?

 

 

 答えは1なのですが、え???と思われた方は調べてみてください。

 その理由を説明するのがちょっと難しいのです。

 数学の定理について学び始めた娘の?に付き合いながら頭の体操をしました。

 

 もうすぐ中間テスト、数字やアルファベットが飛び交う日々です。

 

 

 

 

2013年5月12日 (日)

時間の有効性

 

 一日の時間は24時間、一年365日。一人の人間の生涯の時間は限られている。マルケスではないが、頑張っても、100年。百年の孤独。

 与謝野晶子や永瀬清子の仕事をみていると、どう自分の時間をやりくりして、詩を書いていたのか、考えさせられる。子供たちはわんさかいて、子供の泣き声と家事と義母や義父、夫の要求が、容赦なく頭上に、飛び交う日常のなかで。

 与謝野晶子は、子だくさんだったこともあり、外の付き合いは極力減らして、家で執筆する時間を持つ努力をしていた。籠の中に赤ん坊を入れて、左手であやしながら、右手で書いたという。読む詩誌や雑誌も厳選していた。

 永瀬清子は、短章集というアフォリズムを多く残している。常にペンを持って自らの内部を耕していた。筆まめだったとも。暮らしのひとつひとつが詩の題材になり、自分の資質を見極めることに長けていた。

 想像の翼のたくましさがあった。確固たる信念があった。詩を愛していた…。理由をあげるのはたやすいけれど、貫くのは難しいことだ。いずれも彼女たちなりの賢さがあってのこと。ただただ、残された作品を享受する喜びを受け、自分を振り返る。時間を有効に使うこと。たった一人の娘のてんやわんやに、弱音を吐きたくなる小さい私。彼女たちの爪の垢でも煎じて飲もうか。

 

 

2013年3月15日 (金)

聲を打つ、こと

 昨夜、夢のような体験をしました。2150の客席を持つホールの舞台で、聲を打つことができました。聲を「打つ」ということの、本当の意味を、身体が知った瞬間でした。画廊の空間とはけた違いに広い! 自ら打つ聲の響きが緩やかに空間を踊って、再び自分の元へ戻ってくるような不思議な感覚を覚えました。

 参加された他の詩人、ひとりひとり、それぞれに異なる聲の波動が、空間を満たしていき、聲を「聞く」のではなく、聲を「浴びる」と言った方が正しいかもしれません。人間の聲の力とは、計り知れない可能性を秘めているなと感じました。

 また、舞台の中央から届く聲を浴びていると、その表現者の存在の在りようがまっすぐ見えてくるのです。本質が現れてくるのです。

 たった数分の経験でしたが、参加しているプロジェクト La Voix des Poetes(詩人の聲)の真の目的が、ようやくはっきり理解できた瞬間でした。詩を読むのではなく、聲を打つのです。30回以上参加して、やっとおぼろげながら、見えてくる光がありました。

 終えた瞬間、身体が燃え上がる興奮に胸が踊りました。まったく新しい表現世界が切り開かれてゆく予感がしました。

 経験は宝です。身体に残る感覚を糧に、今後の詩人の聲、詩作に生かしていきたいと思います。どんな詩世界が開かれてゆくのか、楽しみです。

2012年10月27日 (土)

朝日新聞、秋の読書習慣、赤坂真理と大澤真幸の対談から

 今朝の朝日新聞、秋の読書週間の特集で掲載されていた、赤坂真理と大澤真幸の対談を興味深く読んだ。

 現在、激変する時代の羅針盤を求めようと歴史の本が読まれているそうだ。二人が選ぶ、「歴史を考える本」の紹介と共に、東京裁判をモチーフとした話題の小説『東京プリズン』をめぐって語られる文章の中で、赤坂と大澤の次のことばに立ち止った。

赤坂:歴史を知らないと「今がすべて」になるから、閉じ込められているようなものですよね。知ったらどこか別のところに行けるという想像力が出てくる。

大澤:いまの20代前半は親も戦争を知らない世代で、彼らが集団的にぶつかっている閉塞感がどこから来るのかわからない。戦争責任なんて関係ないという人は多いけれど、日本の問題はかなりの部分が、敗戦時の「撤退戦」の失敗に由来している。そのことに今の若い人は気づかない。

 ふと気づけば、私たちの周りには「今がすべて」という刹那的な情感に支えられたものに満ち溢れていはいないか。みな同列の、「今が良ければ」という風潮に浸食されてゆく世界。未来への指針がないまま、進む先に、一体何が見えるだろう?

 「現在」という籠の中から飛び出して、羽ばたくためには、歴史に刻まれた人間の営みを真摯に見つめることだ。今ここある命は、膨大な歴史の連なりの、血の一滴に他ならないのだから。 

2012年10月 6日 (土)

空は、あおい。

  庭の木を思い切り、伐採したら、青空。

 新しい出会いが、どんどん未来を切り開いていく。

 無理に構えないで、ことばが通じる人との嬉しい出会いが続く。

 一体、何を運んでくるのだろう?

 空は、本当に、あおい。 

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