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2014年6月11日 (水)

華 いのち 中川幸夫 前衛いけばなの作家のドキュメンタリー

 

  雨のやまない梅雨空の下、恵比寿の東京都写真美術館で上映中の「華 いのち 中川幸夫」と題した、前衛いけばな作家、中川幸夫のドキュメンタリー映画を観た。

 

 中川幸夫を知ったのは、今から何年前だろう。NHKで放送された、やはりドキュメンタリー作品だったかと思う。その映像の中で印象的だったのは、2002年の作品「天空散華」だ。

 100万枚の色とりどりのチューリップの花びらが、雪のように、雨のように舞う幻想的な風景、その中に、白い衣装をまとった、舞踏家、大野一雄がはかなくも妖しく踊る。

 地上にありながら、すでに天上の世界がそこに開かれていた。大野の後ろで、小さくたたずむ中川の姿がつつましく、風の力にそっと耐えて咲く、野の花のように見えたことを覚えていた。

 今回の映画にもその映像は流れ、改めて、チューリップの花びらを見上げる、中川のまなざしの先に在る苦悩を見る思いがした。あの小さな体にどれほどのエネルギーが宿るというのか、造られた作品の、破壊的なエロスの発現は見るものを圧倒する。

 

 そして、私がことばに関わるものだからか、作品のタイトルがとても魅惑的だと改めて感じた。赤いチューリップの花びらの山は「魔の山」、トーマス・マンのハンス・カストルプの物語を彷彿とさせる。色を失ったチューリップの岩のような白い肢体、「死の島」をみると、福永武彦の広島を題材とした同名の小説を思い出した。中川がこれらの作品を読んでいたかどうかはわからないが、それら作品のイメージに通じる世界観を感じることに驚く。

 華たちの生から死への「うつろい」を瞬時にとらえる。そこに官能と痛みと、ときに怒りに似た喜びを感じたであろう中川。華を「生ける」とは、有限の華のいのちを、この手に「生け捕る」ことではないだろうか。

 芸術の本質は、対象としたあらゆるモチーフから、いのちを「生け捕る」ことで成り立つのだと思う。華から生け捕る「いのち」を、ことばから生け捕る「いのち」を、次の「いのち」の時代へと、作品を通してつないでゆくのだ。

 中川の作品は、潔い。独り自立してたつ、蓮の花の美しさは、中川の精神性をまっすぐに物語る。流派や、世間や、常識にもたれない永久に変わることのない新しさの中に、りりしくも静かに、華は息づいているのだ。

 

 

 

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