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2011年5月24日 (火)

辺見庸 詩編「眼の海 ─わたしの死者たちに」

 3.11、この日付から、私の魂の奥底にある「唇」が何も発しなくなっている。

 いつも、「ことば」を求めていた。日常言語におけるコミュニケーションは、どこかいつも借りものめいており、だからこそ、真なることばとの、世界との繋がりが欲しくて、「詩」を書き続けてきた。

 けれど、今回の震災、地震、津波、原発問題、自然と時代は、人間存在をやすやすと飛び越えた大きな絶壁を眼の前に屹立させ、見上げる未来の空は、どんなに背を伸ばし、目をこらしても靄にかすんで見えない。

  多くの死者たちの怒りと哀しみのすすり泣きが雨に交じって聞こえるばかり、ただ、今は、その声に耳を澄まし祈るだけの現在だ。

 こうして、ことばを書きつけることにも、言いようのない罪を感じる。

 書けるという、安全が今一瞬のものであろうとも。もちろん、この安全は、幻なのである。

 悪い夢を見つづけているような日々、ふと心に触れることばがあった。

 文学界6月号、辺見庸著、詩編「眼の海 わたしの死者たちに」。一部を引用する。

 

 わたしの死者ひとりびとりの肺に

 ことなる それだけの歌をあてがえ

 死者の唇ひとつひとつに

 他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ

 類化しない 総べない かれやかのじょだけのことばを

           『死者にことばをあてがえ』

 定位をなくしたモノたちの眠りひろがる

 それらの荒れ野で

 わたしはあなたの左の小指を

 惘然とさがしている

              『わたしはあなたの左の小指をさがしている』

 

 わたしの死者、と死者たちを呼ぶ。「わたしの死者」と呼ぶことの重みは、死への並々ならぬ想像力がなければ発しきれるものではない。

 自らの魂が死者へと寄り添って始めてこぼれおちることばだ。

 辺見は、死者の唇を代弁し、物狂わしい死者たちの海、その瓦礫だらけの波打ち際に立って、現在を見つめている。

 そして、探している「小指」は、残された者たちの、死者たちへの愛だ。夥しい、愛おしい肉体の欠片が、不条理の水に消えた。

 そのことの意味をわたしたちは、問い続け、終わりのない何ものかとの闘いに挑み続けるのだ。

 失われた小指のあえかな温もりを胸に抱いて。灯火のように。

 わたしの魂の唇も、そっと震え、ことばを発し始めるだろうか。

 

 

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