「ことばを信じる 春 」2011/4/30 日本近代文学館ホール
「言葉を信じる 春」。
今日、日本近代文学館ホールにて催された「声」の試みは、 東日本大震災から1カ月、「この大震災を前にして、いま、それぞれの詩人が信じることばを声にする」という難しいテーマに詩人一人一人が向き合う、今、最もリアルな詩を体感できる時間だった。
参加詩人たち、14人(一人は映像出演)が、一篇の詩を読む。それを二回繰り返す二部構成。シンプルなタイトルの清々しさと潔さが会場に漲り、三時間あまりの時が、よどみなく静謐な緊張感をもって、過ぎていった。
☆一部、朗読順(継承略)
田原、小池昌代、稲葉真弓、天沢退二郎、和合亮一、四元康祐、平田俊子、高橋睦郎、天童大人、田中庸介、たなかあきみつ、高貝弘也、白石かずこ、石牟礼道子(映像出演)
☆二部、朗読順(敬称略、名字のみ)
小池、田中(庸)、白石、天童、高貝、天沢、たなか、四元、平田、田原、稲葉、和合、高橋、石牟礼(映像)
詩人たちは、この未曾有の大震災を目の当たりにして、どうしようもなく、人間だった。人間の声が響き渡った。「詩人」という肩書きなどどこかに葬り去ってしまったかのように、孤独であり、不安であり、光を見ようとするが、届かぬ思い、戸惑い、諦念、悲しみの、あてどない感情の瓦礫が詩の背後にとめどなく流れる。一人一人の、現在との切り結び方が透けて見えた。
自分の内部の瓦礫の中からことばを探したという平田の、「ことば」に対する怒り、すべてのことばが嘘っぽい、けれど、それを曝すと決意する高橋の戸惑い、死者へとことばを届ける天童の力強い声と哀しみ、白石の声に重なる死者の泣き叫ぶ声、稲葉の目に映る、白い鍋が鳩へと変化する、再生への希求、手を合わせて祈る高貝の弱い声、生の儚さ、自らの世界を堅固に生き、異邦の風を見せる、たなか(あ)のぼくとつとした在り方…。
そして、被災地から上京した和合の、饒舌で、豊饒なことばのつぶて。それは一つのリアルな現在を残酷に切り取っていたが、どこか演劇めいて、遠くで起こった出来事のように響く場面もあった。
すべて、現在のわたしたちの心の縮図が、詩人の姿を通して現れているのだ。
時代が表現を分ける。言葉を分ける。残ることばと消えゆくことばがある。
今はまだ、どんな「光」が見えてくるかわからない。けれど、春から、夏、秋、冬、と、私たちが、生き、時を歩んでいくことができるならば、いつかきっと、ゆっくりと、柔らかな「光」が見えてくるのではないだろうか。
稲葉がいうように、銀河鉄道に乗ったジョバンニのように、どこへ停まるか、どこへゆくのかわからない列車に乗ったわたしたち。
車窓から見える、一瞬の星のまたたきを、今日、私は見たのかもしれない。とめどなく流れる涙に曇る、今、ここにある心の目で。
言葉を信じる。言葉を信じたい、夏へ、秋へ、冬へ。そして、もう一度、春へと。
☆次回は2011年7月16日(土)に開催されるそうです。
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