子どもたちのアウシュビッツ
アウシュヴィッツ。
その地名をつぶやくとき、ざらざらと砂をかむような重い記憶が蘇る。
ユダヤ人大量虐殺、ホロコーストの歴史は、長い年月の経過をもっても、なお、人類の忘れえぬ過ちとして、人々の脳裏に深く刻まれていることだろう。
野村路子著『子どもたちのアウシュビッツ』(第三文明社)をひも説くと、今まで知らなかった事実にいくつも触れ、愕然とした。
強制収容所、と聞けば、アウシヴィッツ、その名一つばかりがクローズアップされるが、当時ドイツが支配していたヨーロッパ中の国々に、なんと、8000から9000もの、収容所がつくられていたという。
捕虜収容所、軍需工場に付属する企業付属収容所、労働収容所、アウシュヴィッツのようにガス室と人体焼却炉を持つ殺人工場、絶滅収容所、移送収容所、人体実験のための収容所、女性だけの収容所、子ども収容所…。
さまざまな目的に分かれていた収容所。どれだけ分岐しようと、最終地は貨物列車の果てにある、ただ一つの死…。
地図の上に点在する星の数ほどある黒い丸を見つめているだけで、心にほの暗い悲しみがよぎる。けれど、『子どもたちのアウシュヴィッツ』の中には、絶望の荒野に咲く希望の花のようなエピソードが書かれている。収容所のひとつ、テレジン収容所では、日々元気を失くしてゆく子どもたちのために、極秘で、絵画教室が開かれていた。その絵が今も残されている。
著者の野村路子は、テレジン収容所の子どもたちの絵に感銘を受け、全国各地で、テレジン収容所の子どもたちの絵の展覧会を開いている。
子どもたちの絵は、恐怖、希望、懐かしい記憶、夢、思い思いの心の風景が描かれており、1枚1枚に、今ここにある「命」の輝きと叫びが満ち溢れている。その絵を描いた子どもたちの大半は、短い命を終え、戦乱の闇に散っていった。
残されたものの灯火に、目を向けよう。あふれかえるメッセージを受け取ろう。二度と繰り返さない、というありきたりな言葉を思うのではなく、静かな沈黙を育み、自らの生をかみしめる。今一瞬の、生の奇跡へまなざしを向けよう。そこから、明日への一歩が切り開かれていく。
☆テレジン収容所の子どもたちの絵、ぜひ、ご覧ください。
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