ことばのリアリティ
画面から聞こえてくる、管直人首相のことば、なんとリズムのない人なんだろう、と疑問を感じていた。訴えるフレーズがない、印象に残る表情もない。
人は環境や立場によって、つくられていくもの、日を追うにつれ、首相らしくなっていくか、と思っていたのだが、全くその気配が見えない人。
今朝の朝日新聞、現在の政治状況について、若き哲学者の佐々木中の論説を読んで、深く、納得させられた。
今、国民を心から納得させ得る政治家がいないのは何故か。それは、「演説が、文章が、ヘタだからです」と、佐々木は言う。そして、「政治が取り戻すべきは文学である」とも。
演説が下手、確かに。
演説する術を古代ギリシャではレトリケー、雄弁術、修辞学とも訳され、アリストテレスはレトリケーの本質を「論証」といっており、堂々たる雄弁によって、民衆の納得と同意を獲得する技芸(アート)が、今の日本の政治家には失われている、とも。
佐々木のことばは、明快ですっきりしていて、わかりやすい。
今、この国の政治家のことばの背後には、諦念や、自己保身や、事なかれ主義が流れており、国をよりよくしていこうという信念が見えてこない。
私たちにできること。それは、耳を鍛えておくこと。ことばの背後に本質を見抜く力を携えておくこと。惑わされることはない。
そう、今日も、文学を読もう!