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2011年1月26日 (水)

ことばのリアリティ

 画面から聞こえてくる、管直人首相のことば、なんとリズムのない人なんだろう、と疑問を感じていた。訴えるフレーズがない、印象に残る表情もない。

 人は環境や立場によって、つくられていくもの、日を追うにつれ、首相らしくなっていくか、と思っていたのだが、全くその気配が見えない人。

 今朝の朝日新聞、現在の政治状況について、若き哲学者の佐々木中の論説を読んで、深く、納得させられた。

 今、国民を心から納得させ得る政治家がいないのは何故か。それは、「演説が、文章が、ヘタだからです」と、佐々木は言う。そして、「政治が取り戻すべきは文学である」とも。

 演説が下手、確かに。

 演説する術を古代ギリシャではレトリケー、雄弁術、修辞学とも訳され、アリストテレスはレトリケーの本質を「論証」といっており、堂々たる雄弁によって、民衆の納得と同意を獲得する技芸(アート)が、今の日本の政治家には失われている、とも。

 佐々木のことばは、明快ですっきりしていて、わかりやすい。

 今、この国の政治家のことばの背後には、諦念や、自己保身や、事なかれ主義が流れており、国をよりよくしていこうという信念が見えてこない。

 私たちにできること。それは、耳を鍛えておくこと。ことばの背後に本質を見抜く力を携えておくこと。惑わされることはない。

 そう、今日も、文学を読もう!

 

 

 

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