数について
子供たちに数を教えている。
リンゴ3個とみかん2個、合わせていくつ?
1から5まで数えられたら、次は10まで。
家族は何人? お友達は何人? 小鳥は、リスは、チューリップは?
私たちの生に、「数」は、とても親しい存在だ。
独り、単体としての個。1人、からスタートする生が、成長とともに広がりを見せる時間の中で、数は、少しずつ増えていく。
『アラブ、祈りとしての文学』(岡 真理著、みすず書房、2008)の、ある記述に立ち止まる。
「二章、数に抗して」のパレスチナ人の死者数。「人間の生にとって非日常であるはずの出来事がこの頃パレスチナでは日常と化し、「遺された者たちの悲嘆はありふれたものとなった」」。
愛する者たちの死が、「ありふれたもの」と化す現実とは、どのような感覚なのか。
イラク戦争へメディアのまなざしが注目されている影で、日々確実に殺されていたパレスチナ人がいた。しかし、その統計における死者数が、「大量」でない限り、報道されないという事実。
「他者の命に対する私たちの感覚は、桁違いの数字という衝撃がなければ痛痒を感じないほど鈍感なもの…」となっていく現実とは。
十数人の生が暴力的に失われていく毎日。一人一人の生の重みが希薄になっていく恐ろしさ。
人は、1人なら「名」を呼ばれる。1人から複数へと数が増していくに従って、「数」にまとめられていく。生も死も。まとめられ、くくられ、歴史の流れへと宙づりにされる。
しかし、今、温かな血が流れる肉体を持つ、一人の人間であるならば、「世界の無関心がパレスチナ人に対する殺戮を可能にしているのだ」という言葉に、耳を傾け、心を向けなければならないだろう。
「見えるもの」を「見る」。「見えない」ものにしないことだ。
血と砂と叫び、が、文脈から迸る。岡真理の真摯なことばから、「人間」の声にならない声が聞こえてくる。生ぬるい風が、ページから吹きよせてくる。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。色とりどりの鮮やかなおはじきを宙に飛ばして、
小さな手のひらに握る、子供たちの澄んだ目に、数の記憶はどのように刻まれるのか。
愛おしい生のきらめきの側へ。畳み込む数を、願った。
地上に生かされる人間の尊厳。共有を数えたい。